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最上徳内 (1808), p.535
唯一年に一たびオムシヤといふ事あり。
是佳節にも終年終月の會稽(会計) にもあたるものなり。
昔松前より買人を所々へわたして産物を交易するつゐでに、小吏をもやり、法度を沙汰せしめたる時の遺なり。
尤オムシヤといふはその前よりも有来る名にて、何にても上みたるかたよりのさとし事有時これを聞の名なり。
春始て和舶来り、互に安を問ひ、恙なきを喜ひ、一禮を述べ畢て、
扨今年も漁獵の時至れり。
務て懈ることなかれ。
近邑とも睦び、争訟などをいたさすべからず、いづかたにでも難船あらば出て救ひ助けよ。
幸なりとして賊をなすことなかれ。
などいふととを念頃に喩し、扨酒二椀づゝをのましめ、烟草、煙管等それぞれにあたふ是なり。
秋にいたり海河山澤の事畢り、買人等辭しかへらむとして又條令を示し、且冬のあいた網や船をもつくろひ、春また来るを待品物を貯へおけなど教へ、此般は大に酒をのましめ、女子、小児にも濁酒をあたへ、皆酔ひて歌舞轉臥にいたりてやむ。
これをウヱトツヽコバクといふ。
今はシヤーランバともいふ。
是暇乞といふことにて、シヤーランバは則さらばなり。
来去ともにゑそ一人ことに是まて交易せし品の有餘不足をかそへ、後時の約束をなす。
しかれども此日遠方より三日、四日をかけて来り、また日を重て歸る。
酔てふすも、夷俗歳月をも知らさる常なれば日時を費などの念なき故、一日飲で三日も臥ものあり。
旁十餘日を空しくすることなれば、萬のいとなみ便よからず。
その上もはや年々に成て、條喩をもおぼへ、法をやぶる程の事もなきまゝに、いつとなく来りし時のオムシヤをば略し、歸らむとするおりのウヱトツヽコバクの時ばかり大に燕(さかもり)を開くことに成たり。
オムシヤは法禮を重んじ、ウヱトツヽコバクは歡楽を専にする趣にて、買人等がゑぞどもをあつめてする事なれば、いづれとてもしどけなきふるまいなれど、併オムシヤは重くウヱトツヽコバクは軽ければ、名は偏にオムシヤとのみいひならはしたるなり。
オムシヤ定りたる時日なし。
所によりてかはりあり。
秋季より初冬の間の事なり。
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平沢屏山 (1858)
高倉新一郎 (1972) の解説:
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蝦夷地勤番所の庭先。
正面に幔幕を張り、武具を飾って、勤番役人が威儀を正して座っている。
縁先にいる向って右の人物は支配人、あとの一二人は通詞、次の間には番人以下が控えている。
庭先の蓆の上に座っているのが正装した役土人達、その前に並べてあるのが賜物の煙草・行器などである。
これから掟書を読み聞かせ、盃事が行なわれれようとしている。
庭の内外には平土人・女子供が式のすむのを待っている。」
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引用文献
- 最上徳内 (1808) :『渡島筆記』
- 高倉新一郎編『日本庶民生活史料集成 第4巻 探検・紀行・地誌 北辺篇』, 三一書房, 1969. pp.521-543
- 平沢屏山 (1858) : オムシャの図
- 高倉新一郎 (1972) :『新版 アイヌ政策史』, 三一書房, 1972.
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