Up 4月29日 作成: 2024-12-09
更新: 2024-12-09




      『菅江真澄全集 第2巻』(未来社, 1971). pp.31,32
    日のさしのぼりて、舟はとぶやうに熊石(爾志郡熊石町)などいふ浦もこぎ過て、



    和人(シャモ)蝦夷(アヰノ)のくにをさかふ以南遠(イナヲ)ざきとて、
    とどろふの木(トドマツ)を伐て枝ながら岩の出崎におし立て、為那乎(ヰナヲ)とて、木を麻苧の糸のやうにけづりてて、ゆふ(木綿)のごとくとりかけたるは、
    鯡の魚多からんことを、このいそべなる神にいのりて、夷人(アヰノ)どもの、春のはじめごとに手向けるとなん。



     ‥‥‥
    ほどなうふねつきたれば、くだりて久刀布(クドフ)(久遠郡大成村)といふ蝦夷の(コタン)に至る。
    このあたりよりはもはら運上屋とて、うなのものとりをさむる、さぶらひやうの屋形をたてて、そのゑだちの人も、こと人もすみ、アヰノの栖家も、軒ならびて入まじりたり。
    斎藤といふあまのもとにやどつきたり。
    このちかとなりに笹ふきのまろやのありけるより、童男(ヘカチ)どものふたり、くひぜのごときものを持出て、かうがいつきといふことをして、右にうち左にうちて、はてはては、ものあらがひのごとく、たがひにいひのゝしるを、 そが(ハンボ)ならん窓よりたちのぞきて、「ホンノペリ」、「ルカマルカマ」とよぶ。
    ルカマとは、路をよこさまにあゆむをしかいへり。
    ポンノペリも、そのごとき人の身の癖などをもて、名とぞせりけるならはしとなん。



    ことやどよりたちいづる蝦夷の、としははたちばかりならんか、リクトンべといふものをくびにかけ、マタブシとて、はちまきゃうのものを頭にまとひ、ものうちさへぐやうに過たり。
    タけぶりたちなびくに、「おくの海夷がいはやのけぶりだにおもへばなびく風や吹らん」とずして、
      蝦夷人の 立るけぶりの 末までも にぎはひなびく 御代のかしこさ
    それらが軒のあたりに(フウ)といひ、シャモ辞に多加久良(タカグラ) (高庫) といふ、間遠に柱つきたて、棚のやうに横木をならべて、そのうへにかや、小笹などふきかさねたる、ちいさき屋をつくりあげて、粟、稗、たら、にしん、さけなどのほじしをも、こめおくとなん。 やごとやごとのくまわにぞありける。



    ヘカチどものあつまりて、虎杖の茎の一さか斗なるを投やりて、ひろばかりの,しのゝうれを箭はづに、とがりたるを手ごとにとりて、このくさぐきを、なげつきにつきけるこそ、うなのわざを見ならひてせりけるならめ。
    これを波那離(ハナリ)づきとぞいひける。
    ゆくりなう雨のさとふりくるに、鹿のかは衣きたるへカチふたり三たり、こなたかなたに草かい分ていぬ。
      かはごろも わけぬらすらし いたどりの 葉ひろの露の ちればなりけり
    かくて、けふもくらぐらになりぬ。