Up | 経済のグローバル化のわけ | 作成: 2024-11-12 更新: 2024-11-13 |
産品の不足そして過剰が生じるからである。 産品の不足を埋める方法は,国の外から産品を取ってくることである。 これには,略奪と交易がある。 そして交易は,過剰産品の行き場・使い道になる。 略奪と交易の関係は,「略奪か交易か」ではなく「略奪色の濃い交易か薄い交易か」である。 相手が自分より弱いと見たら,かさに掛かって,略奪的になる。 相手が自分より強いと見たら,へりくだった様をつくって,交易をできるだけ有利にもっていくことに努める。 交易 (略奪) は, 金は,財の蓄積を可能にするからである。 財を蓄積しようとする者たちが,交易 (略奪) を外へ外へと拡げていく。 ただし,外に出ていくためには,外に出て行く技術が要る。 こうして,交易の拡大と技術の発達が,正のフィードバックの関係になり,技術の発達がめざましくなる。 外に出ていくことには,「新天地」の獲得というおまけが付く。 「新天地」は,産品の不足のソルーションになり得る。 「新天地で暮らしをつくる方が有利かも知れない」の思いで,ひとは国を出て新天地に入る。 そして,自分たちの国にしていく。 交易と新天地開発は,行き着くところまで行く。 即ち,交易はグローバルになり,新天地はすべて埋まる。 これが,今の経済である。 交易のグローバル化は,協商関係のグローバル化が要件となる。 交易のグローバル化が成っているとは,協商関係のグローバル化が成っているということである。 帝国主義は,帝国間のなわばり抗争であり,戦争そのものである。 経済ブロック主義は,同盟国ブロック間のなわばり抗争であり,これも戦争必至である。 戦争無しの交易グローバル化は,協商関係のグローバル化として成立するのである。 拡大する交易は,行き着くところまで行く──グローバル化。 しかし,「行き着くところまで行く」は,「経済は国では収まらない──産品の不足と過剰がある」が収まることではない。 国の経済は,相変わらず不足と過剰で難儀する。 そして国の中身も,この間にすっかり変わっている。 グローバル化は,世界が経済的・技術的に均質化することである。 どこの国も,工業化と都市化が進む。 そして多くの国で,これは1次産業の衰退と少子高齢化になる。 少子高齢化の国は,産業がしぼみ,交易がしぼむ。 これまでのスケールのものは過剰になるからである。 その先は? それはわからない。 <進化>の出来事は,予想できない──なってみないとわからない。 |