Up 『遠野物語』山人伝説──狩猟採集生活者 (アイヌ) 作成: 2025-01-12
更新: 2025-01-14


      三 
    山々の奥には山人住めり。
    栃内村和野の佐々木嘉兵衛という人は今も七十余にて生存せり。
    この翁若かりしころ猟をして山奥に入りしに、遥かなる岩の上に美しき女一人ありて、長き黒髪を梳りていたり。
    顔の色きわめて白し。
    不敵の男なれば直に銃を差し向けて打ち放せしに弾に応じて倒れたり。
    そこに馳けつけて見れば、身のたけ高き女にて、解きたる黒髪はまたそのたけよりも長かりき。
    のちの験にせばやと思いてその髪をいささか切り取り、これを綰ねて懐に入れ、やがて家路に向いしに、道の程にて耐えがたく睡眠を催しければ、しばらく物蔭に立寄りてまどろみたり。
    その間夢と現との境のようなる時に、これも丈の高き男一人近よりて懐中に手を差し入れ、かの綰ねたる黒髪を取り返し立ち去ると見ればたちまち睡は覚めたり。
    山男なるべしといえり。

      ここで興味深いのは,平地人にとって,山人に「銃を差し向けて打ち放」つことは,自然なことだったということである。
      今日ひとが,クマに「銃を差し向けて打ち放」つことを自然なこととみているのと同型である。

      五 
    遠野郷より海岸の田ノ浜、吉利吉里などへ越ゆるには、昔より笛吹峠という山路あり。
    山口村より六角牛の方へ入り路のりも近かりしかど、近年この峠を越ゆる者、山中にて必ず山男山女に出逢うより、誰もみな怖ろしがりて次第に往来も稀になりしかば、ついに別の路を境木峠という方に開き、和山を馬次場として今は此方ばかりを越ゆるようになれり。
    二里以上の迂路なり。
    山口は六角牛に登る山口なれば村の名となれるなり。

      六 
    遠野郷にては豪農のことを今でも長者という。
    青笹村大字糠前の長者の娘、ふと物に取り隠されて年久しくなりしに、同じ村の何某という猟師、或る日山に入りて一人の女に遭う。
    怖ろしくなりてこれを撃たんとせしに、何おじではないか、ぶつなという。
    驚きてよく見れば彼の長者がまな娘なり。
    何故にこんな処にはおるぞと問えば、或る物に取られて今はその妻となれり。
    子もあまた生みたれど、すべて夫が食い尽して一人此のごとくあり。
    おのれはこの地に一生涯を送ることなるべし。
    人にも言うな。
    御身も危うければ疾く帰れというままに、その在所をも問い明らめずして遁げ還れりという。

      先に述べたように,平地人にとって山人はクマと同じであり,「怖ろしくなりてこれを撃たんとせし」となるものである。

      七 
    上郷村の民家の娘、栗を拾いに山に入りたるまま帰り来たらず。
    家の者は死したるならんと思い、女のしたる枕を形代として葬式を執行い、さて二三年を過ぎたり。
    しかるにその村の者猟をして五葉山の腰のあたりに入りしに、大なる岩の蔽いかかりて岩窟のようになれるところにて、図らずこの女に逢いたり。
    互いに打ち驚き、いかにしてかかる山にはおるかと問えば、女の曰く、山に入りて恐ろしき人にさらわれ、こんなところに来たるなり。
    遁げて帰らんと思えど些の隙もなしとのことなり。
    その人はいかなる人かと問うに、自分には並の人間と見ゆれど、ただ丈きわめて高く眼の色少し凄しと思わる。
    子供も幾人か生みたれど、我に似ざれば我子にはあらずといいて食うにや殺すにや、みないずれへか持ち去りてしまうなりという。
    まことに我々と同じ人間かと押し返して問えば、衣類なども世の常なれど、ただ眼の色少しちがえり。
    一市間に一度か二度、同じようなる人四五人集まりきて、何事か話をなし、やがて何方へか出て行くなり。
    食物など外より持ち来たるを見れば町へも出ることならん。
    かく言ううちにも今にそこへ帰って来るかも知れずという故、猟師も怖ろしくなりて帰りたりといえり。

      「みないずれへか持ち去りてしまうなり」は,平地人の血の子どものやり取りが山人の間であった,というであろう。
      先に述べた「<血が濃くなる>を防ぐため」である。


      八 
    黄昏に女や子供の家の外に出ている者はよく神隠しにあうことは他の国々と同じ。
    松崎村の寒戸というところの民家にて、若き娘梨の樹の下に草履を脱ぎ置きたるまま行方を知らずなり、三十年あまり過ぎたりしに、或る日親類知音の人々その家に集まりてありしところへ、きわめて老いさらぼいてその女帰り来たれり。
    いかにして帰って来たかと問えば人々に逢いたかりし故帰りしなり。
    さらばまた行かんとて、再び跡を留めず行き失せたり。

      「神隠し」は,山神隠し,即ち山人による平地人さらい,というわけである。

      二八 
    始めて早池峯に山路をつけたるは、附馬牛村の何某という猟師にて、時は遠野の南部家入部の後のことなり。
    その頃までは土地の者一人としてこの山には入りたる者なかりしと。
    この猟師半分ばかり道を開きて、山の半腹に仮小屋を作りておりしころ、或る日炉の上に餅をならべ焼きながら食いおりしに、小屋の外を通る者ありて頻に中を窺うさまなり。
    よく見れば大なる坊主なり。
    やがて小屋の中に入り来たり、さも珍しげに餅の焼くるを見てありしが、ついにこらえ兼ねて手をさし延べて取りて食う。
    猟師も恐ろしければ自らもまた取りて与えしに、嬉しげになお食いたり。
    餅皆になりたれば帰りぬ。
    次の日もまた来るならんと思い、餅によく似たる白き石を二つ三つ、餅にまじえて炉の上に載せ置きしに、焼けて火のようになれり。
    案のごとくその坊主きょうもきて、餅を取りて食うこと昨日のごとし。
    餅尽きてのちその白石をも同じように口に入れたりしが、大いに驚きて小屋を飛び出し姿見えずなれり。
    のちに谷底にてこの坊主の死してあるを見たりといえり。

      三〇 
    小国村の何某という男、或る日早池峯に竹を伐りに行きしに、地竹のおびただしく茂りたる中に、大なる男一人寝ていたるを見たり。
    地竹にて編みたる三尺ばかりの草履を脱ぎてあり。
    仰に臥して大なる鼾をかきてありき。

      三四 
    白望の山続きに離森というところあり。
    その小字に長者屋敷というは、全く無人の境なり。
    ここに行きて炭を焼く者ありき。
    或る夜その小屋の垂菰をかかげて、内を窺う者を見たり。
    髪を長く二つに分けて垂れたる女なり。
    このあたりにても深夜に女の叫び声を聞くことは珍しからず。

      三五 
    佐々木氏の祖父の弟、白望に茸を採りに行きて宿りし夜、谷を隔てたるあなたの大なる森林の前を横ぎりて、女の走り行くを見たり。
    中空を走るように思われたり。
    待てちゃアと二声ばかり呼ばわりたるを聞けりとぞ。

      七五 
    離森の長者屋敷にはこの数年前まで燐寸の軸木の工場ありたり。
    その小屋の戸口に夜になれば女の伺い寄りて人を見てげたげたと笑う者ありて、淋しさに堪えざる故、ついに工場を大字山口に移したり。
    その後また同じ山中に枕木伐出しのために小屋をかけたる者ありしが、夕方になると人夫の者いずれへか迷い行き、帰りてのち茫然としてあることしばしばなり。
    かかる人夫四五人もありてその後も絶えず何方へか出でて行くことありき。
    この者どもが後に言うを聞けば、女がきて何処へか連れだすなり。
    帰りてのちは二日も三日も物を覚えずといえり。

      八九 
    山口より柏崎へ行くには愛宕山の裾を廻るなり。  ‥‥‥
    昔より山の神出づと言い伝うるところなり。
    和野の何某という若者、柏崎に用事ありて夕方堂のあたりを通りしに、愛宕山の上より降り来る丈高き人あり。
    誰ならんと思い林の樹木越しにその人の顔のところを目がけて歩み寄りしに、道の角にてはたと行き逢いぬ。
    先方は思い掛けざりしにや大いに驚きて此方を見たる顔は非常に赤く、眼は耀きてかついかにも驚きたる顔なり。
    山の神なりと知りて後をも見ずに柏崎の村に走りつきたり。

      九十 
    松崎村に天狗森という山あり。
    その麓なる桑畠にて村の若者何某という者、働きていたりしに、頻に睡くなりたれば、しばらく畠の畔に腰掛けて居眠りせんとせしに、きわめて大なる男の顔は真赤なるが出で来たれり。
    若者は気軽にて平生相撲などの好きなる男なれば、この見馴れぬ大男が立ちはだかりて上より見下すようなるを面悪く思い、思わず立ち上りてお前はどこから来たかと問うに、何の答えもせざれば、一つ突き飛ばしてやらんと思い、力自慢のまま飛びかかり手を掛けたりと思うや否や、かえりて自分の方が飛ばされて気を失いたり。
    夕方に正気づきてみれば無論その大男はおらず。
    家に帰りてのち人にこの事を話したり。
    その秋のことなり。
    早池峯の腰へ村人大勢とともに馬を曳きて萩を苅りに行き、さて帰らんとするころになりてこの男のみ姿見えず。
    一同驚きて尋ねたれば、深き谷の奥にて手も足も一つ一つ抜き取られて死していたりという。
    今より二三十年前のことにて、この時の事をよく知れる老人今も存在せり。
    天狗森には天狗多くいるということは昔より人の知るところなり。

      九一 
    遠野の町に山々の事に明るき人あり。
    もとは南部男爵家の鷹匠なり。
    町の人綽名して鳥御前という。‥‥‥
    年取りてのち茸採りにとて一人の連とともに出でたり。‥‥‥
    さて遠野の町と猿ヶ石川を隔つる向山という山より、綾織村の続石とて珍しき岩のある所の少し上の山に入り、両人別れ別れになり、鳥御前一人はまた少し山を登りしに、あたかも秋の空の日影、西の山の端より四五間ばかりなる時刻なり。
    ふと大なる岩の陰に赭き顔の男と女とが立ちて何か話をして居るに出逢いたり。
    彼らは鳥御前の近づくを見て、手を拡げて押し戻すようなる手つきをなし制止したれども、それにも構わず行きたるに女は男の胸に縋るようにしたり。
    事のさまより真の人間にてはあるまじと思いながら、鳥御前はひょうきんな人なれば戯れて遣らんとて腰なる切刃を抜き、打ちかかるようにしたれば、その色赭き男は足を挙げて蹴りたるかと思いしが、たちまちに前後を知らず。
    連なる男はこれを探しまわりて谷底に気絶してあるを見つけ、介抱して家に帰りたれば、鳥御前は今日の一部始終を話し、かかる事は今までに更になきことなり。
    おのれはこのために死ぬかも知れず、ほかの者には誰にもいうなと語り、三日ほどの間病みて身まかりたり。

      九二 
    昨年のことなり。
    土淵村の里の子十四五人にて早池峯に遊びに行き、はからず夕方近くなりたれば、急ぎて山を下り麓近くなるころ、丈の高き男の下より急ぎ足に昇りくるに逢えり。
    色は黒く眼はきらきらとして、肩には麻かと思わるる古き浅葱色の風呂敷にて小さき包を負いたり。
    恐ろしかりしかども子供の中の一人、どこへ行くかと此方より声を掛けたるに、小国さ行くと答う。
    この路は小国へ越ゆべき方角にはあらざれば、立ちとまり不審するほどに、行き過ぐると思うまもなく、はや見えずなりたり。
    山男よと口々に言いてみなみな遁げ帰りたりといえり。

      一〇二 
    正月十五日の晩を小正月という。‥‥‥ 宵を過ぐればこの晩に限り人々決して戸の外に出づることなし。
    小正月の夜半過ぎは山の神出でて遊ぶと言い伝えてあればなり。
    山口の字丸古立におまさという今三十五六の女、まだ十二三の年のことなり。
    いかなるわけにてか唯一人にて福の神に出で、ところどころをあるきて遅くなり、淋しき路を帰りしに、向うの方より丈の高き男来てすれちがいたり。
    顔はすてきに赤く眼はかがやけり。
    袋を捨てて遁げ帰り大いに煩いたりといえり。

      一〇七 
    上郷村に河ぷちのうちという家あり。
    早瀬川の岸にあり。
    この家の若き娘、ある日河原に出でて石を拾いてありしに、見馴れぬ男来たり、木の葉とか何とかを娘にくれたり。
    丈高く面朱のようなる人なり。
    娘はこの日より占の術を得たり。
    異人は山の神にて、山の神の子になりたるなりといえり。

      一〇八 
    山の神の乗り移りたりとて占をなす人は所々にあり。


  • 引用文献